ψ無双ψ一家 寄り合い所
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さて、本日のお題は、ずばりチャプター2 以降の新星ダンジョンのストーリー予想です。
といっても、基本は『日本の歴史』のお勉強関係のコラムになりますので、その辺が苦手な方はスルーして下さい。
勘違いしてる人も多いかもしれませんが、あたしも歴としたディープな歴史ファンなのですよ(* ´▽`)ノ
BGMには信長の野望とか、大河ドラマとかソレ系をご用意下さい(´・ω・`)
えーさて。
こちらが、コーエー公式サイトにあります、独眼竜の野望の広告カットです。
これを読む限り、タイムトラベル形式で、時代が違えども人気武将である、伊達政宗の半生を追うようなストーリーになるのではないかと思われます。
と、言いつつも序章で早くも源平ネタを繰り出してきて、良い意味で裏切られてしまった訳ですが。
もっとも、義元公が存命で、松平家が徳川家であるという点を鑑みても、信onが何年かを談じるのは難しいんですけどね(笑)。
ま、あたしたちのような揚げ足取りに負けずに、片っ端から歴史の美味しいところを取っていって欲しいですよね。
序章の鬼門比叡山、そして第一章の松島で大黒天のタイムトラベルの準備をするというのが、大枠のストーリーでしょうか。
であれば、第二章からは、いよいよ正宗公の激動の天下への道を描いてくれるのではないでしょうか。
1567年 伊達政宗誕生
輝宗パパの長男として生まれます。幼名が梵天丸。梵天というのは、仏教の守護神で、ブラフマーの事ですね。
ちなみに、織田信長が将軍 足利義昭を奉じて、入京したのが翌年の1568年になります。
桶狭間が1560年ですから、この時点で既にずいぶんと後れを取った訳ですね。
画面中央のお坊様が、松島のクエスト案内人もつとめている『虎哉禅師』。
正宗の家庭教師、そして人生の師として生涯、正宗公が師事した人です。
1584年 輝宗パパ討ち死に - 人取橋の合戦
まだまだ壮年の輝宗パパでしたが、正宗の優れた将器を見抜き、41歳の若さで引退してしまいます。
伊達家17代当主 藤次郎正宗の誕生です。
ところがその年、輝宗パパの身に不幸が訪れます。
ご機嫌伺いに来た降将の二本松義継が、城門まで見送りに出た輝宗パパを人質に取ってしまうのです。
急報を聞いた正宗があわてて追いかけ、阿武隈川で補足するも、人質で手が出せない。
「正宗!儂もろとも撃て!」二本松義継と共に、先代 伊達輝宗は息を引き取ります。
一説によると、穏やかな性格で周辺勢力との和を基調路線とした輝宗が邪魔で、正宗が謀殺したという話しもありますが、やはり個人的にはドラマチックな方が良いですね(* ´▽`)
さぁいよいよ、ステージ候補の登場です。
憎き二本松家への報復に軍を発した正宗。対するは、二本松を含む 奥州反伊達連合。
13000 vs 30000という二倍以上という兵数に、正宗は惨敗。しんがりをつとめた鬼庭左月斎(いかりや長介)も戦死します。
虎哉禅師にも「憎しみに動かされるな、人の上に立つ者の責任を知れ」と激しく叱責され、始めて自分の愚行を悟ります。
1589年 摺上原の戦い
奥州反伊達連合の雄 蘆名義広軍と激突します。
この戦いで、小十郎の策が、正宗の知謀が戦場を縦横にします。
強風で名高い摺上原の風向きを完全に熟知した布陣で、蘆名軍を圧倒。
さらに、退却先の橋をあらかじめ落とした上で、摺上原の蘆名軍を撃破。
退却する蘆名軍を追撃する伊達軍が、次々と敵を川に追い落としてしまいます。
こうしてその後も戦い続け、ついに奥州の大半を平定してしまいます。流石は奥州筆頭です。
しかし、いよいよ伊達政宗も上方を知る日が来たのです。
1590年 小田原参陣
形勢悪しと見た正宗、ついに戦乱を収め、全国の兵が城を取り囲む小田原へ参陣します。
この時、正宗を白装束を着、黄金の十字架を持参して平伏したと言われています。
秀吉に手に持った杖で、ひたひたと首筋を叩かれた時のことを、後に「熱湯を掛けられたようだ」と述懐してますから、さすがに秀吉の権力にビックリしたのでしょう(笑)
そういえば、この出陣前に、義姫ママが正宗を毒殺未遂していましたね。
これも狙いだったのかどうなのか、王位継承権二位の弟、小次郎坊ちゃんを当主暗殺未遂の主犯として誅殺してしまいました。
1585年に四国の長宗我部家が帰順。1587年に九州の島津家が帰順。
そして今また、奥州の伊達政宗が帰順。小田原城も陥落し、秀吉の天下統一が実現されます。
朝鮮出兵、秀吉の死を経て、いよいよ関ヶ原に参ります。
1600年 関ヶ原の戦い
石田三成の挙兵を煽るため、家康は当初 上杉家に向けて出陣します。
そして三成が挙兵し、取って返した家康は、岐阜県関ヶ原で三成と激突します。
一方、上杉家の押さえを舅の最上義光と伊達政宗がつとめたのでした。
その合戦を、長谷堂の戦いといいます。
ご存じの通り、関ヶ原は東軍の勝利に終わり、天下の形勢は徳川家に傾きます。
1614年 大阪の陣
天下に二人の主は要りません。いよいよ、家康は豊家に牙を剥きます。
方広寺署名事件とか、教科書に出てたあたりですね。格好いいタイトル画像になっていますが、実際は政宗くん、既に御年47歳。
実際の戦闘には参加せず、後方で方面軍総司令官を勤めておりました。
前線指揮を執っていたのが、片倉小十郎の息子、片倉重長。
道明寺口の戦いで、猛将 後藤又兵衛を討ち取る戦功を挙げます。
しかし、その後の進軍で、伊達の騎馬鉄砲隊は真田幸村の伏兵奇襲を受け、敗走します。
ここでやっと、『新星の章』両雄の初顔合わせ…会ってないけど、なのです。
さてさて、冒頭であたしはチャラいその辺の歴女では無く、割とまともな歴史ファンだと力説しました。
たしかに、あたしが一番好きな武将は真田幸村に他なりません。
一般の皆様ならば、幸村様はこんな感じが大好きでしょう。
あたしも、勿論嫌いじゃありませんが、やはり幸村様は闘将ではあきません。
上田城で神算鬼謀を巡らせ、徳川軍を翻弄したように、謀将でなければいけません。
というわけで、グーグルイメージ検索。
む、最近は本家 信長の野望でも、チャラい若造イメージですね。実にけしからんです。
む、これは昔の信長の野望ですかね。個人的には、これがベストマッチ。
幸村様は、爽やかなイメージよりも、謀略を張り巡らせて目的に突き進んだ、そんなイメージですね(* ´▽`)
そんな幸村様が、ついに豊臣家勝利の為の、最後の手段として、ダイレクトに徳川家康の首を狙います。
天王寺口の合戦において、数倍の先陣を蹴散らし、徳川本陣を急襲。
余りの勢いに、脇の旗本までを前線に投入していた本陣は大混乱。家康は二度も切腹を覚悟したそうです。
しかし、多勢に無勢。ついに力尽きた幸村も、首を打たれます。
こうして、戦国時代 最大・最後の大戦は徳川家の勝利で幕を閉じました。
あまねく天下を統べた徳川家康により江戸幕府が開府。
こうして平和な江戸時代が訪れました。
しかし、その後も政宗は野望の火を消した訳では有りませんでした。
領地加増の駆け引きや、慶長遣欧使節の派遣、"日本国の王"と称して諸外国と勝手に同盟を結ぶなど、謀略を張り巡らせます。
しかし、その野望の火も、家康の臨終と共に幕を閉じたと言われています。
「徳川のためではなく、天下の民のために秀忠を盛り立ててくれないか」
二代目秀忠からも、三代目家光からも我が父のように尊敬を集めた政宗は、その後 江戸幕府の守護者として天下を見守り続けました。
そして、1636年 享年78歳で大往生を遂げるのです。
と、ここまで伊達政宗の一生を駆け足で見て参りました。
え?本当は信繁??本当はここまでドラマチックじゃないって?
講談上等!! やっぱ、歴史は面白い方が楽しいがな(* ´▽`)
オープニングで、"伊達政宗の天下統一への野望"とありましたが、ご覧の通り伊達政宗は天下を取っておりません。
天下人となったのは、太閤 豊臣秀吉であり、内府 徳川家康なのです。
というわけで、最終ステージはIFエピソードになるのではないでしょうか。
戦国無双2では、大阪の陣の後、政宗は反旗を翻します。
江戸へ帰国途中の徳川軍を追撃、徳川軍は三方ヶ原で伊達軍を迎え撃ちます。
…というのが政宗の最終ステージになるかもしれませんね。
もっとも、同じゲームの真田幸村の方が、もっと盛り上がる展開になっています。
大阪の陣で徳川軍を追い返した豊臣軍は、徳川家の本拠 江戸に押し寄せます。
豊臣秀頼を総大将に、真田幸村を初めとする豊臣恩顧の大名たちを主力に、『江戸冬の陣』を繰り広げるのです(笑)。
余談ですが、大阪の陣の再現性は戦国無双1が超おすすめ。
淀君との確執から、秀頼公の出座、徳川本陣突撃など、歴史ファンの夢が余すところ無く詰め込まれている最高のエンターテイメントに仕上がっておりました。
『新星の章』が始まって結構経ちますが、米沢城へ米沢城へ遊びに行くどころか、伊達政宗の顔すら拝めていません。
そろそろ、ファンも納得の歴史体験をがっつりとさせて欲しいものです(* ´▽`)
*** *** *** *** おまけ *** *** *** ***
今回の記事を作成するに当たって、いろいろとネット上を徘徊しましたが、2つほどかなりのヒットを発見しました。
一つは、youtubeにあった、LEGENDARY HEROESっていうシリーズです。
http://www.youtube.com/user/gingerale2099?feature=chclk
外人さんが作った作品ですかね。
過去の映画やドラマを題材に、ミュージッククリップ風にした者で、日本からも織田信長や里見八犬士や、意外なところで堀部安兵衛なんかが題材になってます。
もう一個は、2ch系の読み物ですね。
主人公は、真田信幸ですけど(笑)
http://gnusoku.blog41.fc2.com/blog-entry-396.html
天目山の戦いのくだりと、大阪の陣では大いに胸を打たれました。
物書きの端くれたるもの、いつかはこんな文章を書いてみたいものです。
幸村様と、DIO様のめっさファンです(笑)
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もっとも、義元公が存命で、松平家が徳川家であるという点を鑑みても、信onが何年かを談じるのは難しいんですけどね(笑)。
ま、あたしたちのような揚げ足取りに負けずに、片っ端から歴史の美味しいところを取っていって欲しいですよね。
序章の鬼門比叡山、そして第一章の松島で大黒天のタイムトラベルの準備をするというのが、大枠のストーリーでしょうか。
であれば、第二章からは、いよいよ正宗公の激動の天下への道を描いてくれるのではないでしょうか。
1567年 伊達政宗誕生
輝宗パパの長男として生まれます。幼名が梵天丸。梵天というのは、仏教の守護神で、ブラフマーの事ですね。
ちなみに、織田信長が将軍 足利義昭を奉じて、入京したのが翌年の1568年になります。
桶狭間が1560年ですから、この時点で既にずいぶんと後れを取った訳ですね。
画面中央のお坊様が、松島のクエスト案内人もつとめている『虎哉禅師』。
正宗の家庭教師、そして人生の師として生涯、正宗公が師事した人です。
1584年 輝宗パパ討ち死に - 人取橋の合戦
まだまだ壮年の輝宗パパでしたが、正宗の優れた将器を見抜き、41歳の若さで引退してしまいます。
伊達家17代当主 藤次郎正宗の誕生です。
ところがその年、輝宗パパの身に不幸が訪れます。
ご機嫌伺いに来た降将の二本松義継が、城門まで見送りに出た輝宗パパを人質に取ってしまうのです。
急報を聞いた正宗があわてて追いかけ、阿武隈川で補足するも、人質で手が出せない。
「正宗!儂もろとも撃て!」二本松義継と共に、先代 伊達輝宗は息を引き取ります。
一説によると、穏やかな性格で周辺勢力との和を基調路線とした輝宗が邪魔で、正宗が謀殺したという話しもありますが、やはり個人的にはドラマチックな方が良いですね(* ´▽`)
さぁいよいよ、ステージ候補の登場です。
憎き二本松家への報復に軍を発した正宗。対するは、二本松を含む 奥州反伊達連合。
13000 vs 30000という二倍以上という兵数に、正宗は惨敗。しんがりをつとめた鬼庭左月斎(いかりや長介)も戦死します。
虎哉禅師にも「憎しみに動かされるな、人の上に立つ者の責任を知れ」と激しく叱責され、始めて自分の愚行を悟ります。
1589年 摺上原の戦い
奥州反伊達連合の雄 蘆名義広軍と激突します。
この戦いで、小十郎の策が、正宗の知謀が戦場を縦横にします。
強風で名高い摺上原の風向きを完全に熟知した布陣で、蘆名軍を圧倒。
さらに、退却先の橋をあらかじめ落とした上で、摺上原の蘆名軍を撃破。
退却する蘆名軍を追撃する伊達軍が、次々と敵を川に追い落としてしまいます。
こうしてその後も戦い続け、ついに奥州の大半を平定してしまいます。流石は奥州筆頭です。
しかし、いよいよ伊達政宗も上方を知る日が来たのです。
1590年 小田原参陣
形勢悪しと見た正宗、ついに戦乱を収め、全国の兵が城を取り囲む小田原へ参陣します。
この時、正宗を白装束を着、黄金の十字架を持参して平伏したと言われています。
秀吉に手に持った杖で、ひたひたと首筋を叩かれた時のことを、後に「熱湯を掛けられたようだ」と述懐してますから、さすがに秀吉の権力にビックリしたのでしょう(笑)
そういえば、この出陣前に、義姫ママが正宗を毒殺未遂していましたね。
これも狙いだったのかどうなのか、王位継承権二位の弟、小次郎坊ちゃんを当主暗殺未遂の主犯として誅殺してしまいました。
1585年に四国の長宗我部家が帰順。1587年に九州の島津家が帰順。
そして今また、奥州の伊達政宗が帰順。小田原城も陥落し、秀吉の天下統一が実現されます。
朝鮮出兵、秀吉の死を経て、いよいよ関ヶ原に参ります。
1600年 関ヶ原の戦い
石田三成の挙兵を煽るため、家康は当初 上杉家に向けて出陣します。
そして三成が挙兵し、取って返した家康は、岐阜県関ヶ原で三成と激突します。
一方、上杉家の押さえを舅の最上義光と伊達政宗がつとめたのでした。
その合戦を、長谷堂の戦いといいます。
ご存じの通り、関ヶ原は東軍の勝利に終わり、天下の形勢は徳川家に傾きます。
1614年 大阪の陣
天下に二人の主は要りません。いよいよ、家康は豊家に牙を剥きます。
方広寺署名事件とか、教科書に出てたあたりですね。格好いいタイトル画像になっていますが、実際は政宗くん、既に御年47歳。
実際の戦闘には参加せず、後方で方面軍総司令官を勤めておりました。
前線指揮を執っていたのが、片倉小十郎の息子、片倉重長。
道明寺口の戦いで、猛将 後藤又兵衛を討ち取る戦功を挙げます。
しかし、その後の進軍で、伊達の騎馬鉄砲隊は真田幸村の伏兵奇襲を受け、敗走します。
ここでやっと、『新星の章』両雄の初顔合わせ…会ってないけど、なのです。
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む、これは昔の信長の野望ですかね。個人的には、これがベストマッチ。
幸村様は、爽やかなイメージよりも、謀略を張り巡らせて目的に突き進んだ、そんなイメージですね(* ´▽`)
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天王寺口の合戦において、数倍の先陣を蹴散らし、徳川本陣を急襲。
余りの勢いに、脇の旗本までを前線に投入していた本陣は大混乱。家康は二度も切腹を覚悟したそうです。
しかし、多勢に無勢。ついに力尽きた幸村も、首を打たれます。
こうして、戦国時代 最大・最後の大戦は徳川家の勝利で幕を閉じました。
あまねく天下を統べた徳川家康により江戸幕府が開府。
こうして平和な江戸時代が訪れました。
しかし、その後も政宗は野望の火を消した訳では有りませんでした。
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しかし、その野望の火も、家康の臨終と共に幕を閉じたと言われています。
「徳川のためではなく、天下の民のために秀忠を盛り立ててくれないか」
二代目秀忠からも、三代目家光からも我が父のように尊敬を集めた政宗は、その後 江戸幕府の守護者として天下を見守り続けました。
そして、1636年 享年78歳で大往生を遂げるのです。
と、ここまで伊達政宗の一生を駆け足で見て参りました。
え?本当は信繁??本当はここまでドラマチックじゃないって?
講談上等!! やっぱ、歴史は面白い方が楽しいがな(* ´▽`)
オープニングで、"伊達政宗の天下統一への野望"とありましたが、ご覧の通り伊達政宗は天下を取っておりません。
天下人となったのは、太閤 豊臣秀吉であり、内府 徳川家康なのです。
というわけで、最終ステージはIFエピソードになるのではないでしょうか。
戦国無双2では、大阪の陣の後、政宗は反旗を翻します。
江戸へ帰国途中の徳川軍を追撃、徳川軍は三方ヶ原で伊達軍を迎え撃ちます。
…というのが政宗の最終ステージになるかもしれませんね。
もっとも、同じゲームの真田幸村の方が、もっと盛り上がる展開になっています。
大阪の陣で徳川軍を追い返した豊臣軍は、徳川家の本拠 江戸に押し寄せます。
豊臣秀頼を総大将に、真田幸村を初めとする豊臣恩顧の大名たちを主力に、『江戸冬の陣』を繰り広げるのです(笑)。
余談ですが、大阪の陣の再現性は戦国無双1が超おすすめ。
淀君との確執から、秀頼公の出座、徳川本陣突撃など、歴史ファンの夢が余すところ無く詰め込まれている最高のエンターテイメントに仕上がっておりました。
『新星の章』が始まって結構経ちますが、米沢城へ米沢城へ遊びに行くどころか、伊達政宗の顔すら拝めていません。
そろそろ、ファンも納得の歴史体験をがっつりとさせて欲しいものです(* ´▽`)
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