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ψ無双ψ一家 寄り合い所
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 皆様、だいぶお久しぶりです!
とある理由がありまして、絵日記の更新が滞っておりましたが、いよいよ再開させて頂きます。
その理由っていうのが、今回の小旅行記と関係もあるのですが……。

 さて、今回のテーマは高野山です。
高野山といえば、日本史教科書の退屈な部分(暴言)を除けば、どんなイメージがあるでしょうか。

・戦国武将や企業のお墓がたくさんある
・裏高野な退魔師がいて、ナチスや信長と光と闇の戦争をしている
・実は
北条氏直が小田原戦役の後に流されていた

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                                       Wikipedia - 北条氏直より
 というわけで、今回は高野山の観光絵日記です。

 冒頭で、長期休載と今回の高野山行が関係があると申しましたが、風が吹けば桶屋がなんたらと
いうわけで、こういう理由がありました。

・去年の夏のバカンスには九州の高千穂に参りました。
・ところが、ことしは同行者の都合がつかず、大型旅行は断念。
・近場の高野山に御札を返しに行く事に。←今回の記事
・浮いたお金でPCをパワーアップしてもらおう!
・PCをさらっぴんにしたら再セットアップにめちゃ時間が!


 とまぁ、こんな塩梅です。
PCの性能や部品に関してはあまり詳しくありませんので割愛させて頂きますが、
OSが"XP"から一気に"7"になりましたので、圧倒的にパワーアップしました!

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 ふむ、数字は上がりましたが、ぱっと見良くわかりませんね!

えーさて。
というわけで高野山です。

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 高野山に電車で行く場合、河内長野からこんな感じ。
途中、以前の絵日記で記事にしました、真田昌幸・幸村親子が配流された九度山もこの沿線です。
ご覧のとおり、極楽橋駅からはなんと、高野山まではケーブルカーで参ります。

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 地元の駅から電車に揺られること約二時間。南海電鉄の終点、極楽橋に到着です。
路線図にはこのまま高野山までつながっているようになっていますが、正確に言うと、
高野線はここで終点。此処から先は鋼索線とされるそうです。
 面白い名前の駅ですが、実際そばに高野山へつながる『極楽橋』という橋がありますが、
乗り換え専用の駅で、駅以外の建物は周りには無いそうです。

 日頃、ケーブルカーなんて滅多に乗りませんから、こういう階段式の特殊な駅とか、
テンションが上がっちゃいますね!

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 20分ほど、観光ガイド音声を聞きながらケーブルカーに揺られると、高野山駅へ到着。
駅舎で観光パンフレットを集めつつ、バスチケットを購入。
ここからはバスでお寺の近辺に向かいます。
徒歩でも行けなくも無いようですが、一時間半ほどの登山になりそうなので、御覚悟の程を。

 バスチケットは一日フリーパスを購入。お寺の間は意外と距離がありますので、
フリーパスもおすすめ。二三回乗れば元が取れますし、いちいちチケットを買う手間も省けます。

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 いよいよ、高野山観光の始まりです。
バスを降りて少し歩いたところに、高野山の総門たる大門があります。
ここが、高野山の始まりですね。見事な金剛力士像。

 ここから、中央のお寺が集まっている方面と、女人堂に道が別れています。
今回は訪れていませんが、女人堂というのは、まだ高野山が女人禁制だった時代、
「女性はここまで」とされた逗留場所ですね。ほんと、いい時代になったものです。

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 大門から結構歩くと、有名な金剛峯寺の手前にあるのが、壇場伽藍です。
高野山では奥の院と並んで二大聖地とされているところです。
御覧ください! このまんまるで可愛いお堂。
 真言宗の始まりは密教。もちろんイメージの通り、天竺(インドやチベット)から来ていますので、
それらの香りが色濃く残っているのかもしれませんね。

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 さぁ、教科書にも乗っている有名なお寺、金剛峯寺です。
高野山開闢の当時は、高野山全体を金剛峯寺と号していたそうですね。
以前出かけた熊野古道も含む世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」にも含まれています。

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 見事な石庭と、寺院の中のお部屋は、空海上人が唐から高野山まで来た時の情景が、
屏風画で記されていました。
壇場伽藍と同じく、日本の屏風に唐代の絵が描かれているのはちょっとしたカルチャーショックです。
 寺内では、高野山マスコットのこうやくんが出迎えてくれます(笑)

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 思わぬところで戦国史に出会えました。
こちら、かの豊臣秀次が切腹した部屋だそうです。

 関白 豊臣秀次の切腹事件は、本能寺と並ぶ歴史のミステリーとして取り沙汰されていますね。

・謀反の申開きも許されず、あまりにも早い切腹の処断
・秀吉の二元政治相手であり、出家までした元関白を一族皆殺し

一節によると、生まれた豊臣秀頼の継承を確固とするために粛清したのではないか、と言われています。
なお、この時亡くなった家臣の中に、蜂須賀党の一人で譜代家臣の前野某も含まれています。

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 というわけで、お昼ごはんです。
せっかく来たからにはと、精進料理をいただきました。
ご覧のとおり、お肉・お魚は一切使われておりません。奥のお刺身も、山芋のお刺身です。
味は上々でしたが、やっぱり¥2,000は高いですね(笑)。

いよいよ、高野山奥の院へ参ります。

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 最深部の奥の院まで約二キロ。
その参道の両側を、少しでもお大師様の近くで供養されたいという方々のお墓が並んでいます。
まさに、聖地ですね。

 ここから先の記事には、お墓の写真が多く含まれていますので、気になさる方はここで
閲覧を中断くださいませ。

 奥の院から一番遠い一、参道のはじめは、近代の企業のお墓が並んでいます。
例えば、コーヒーのUCC(上島珈琲カンパニー)のお墓は、石のコーヒーカップがあったり。
宇宙開発企業のお墓には、ロケットが立てられたりしていて、見ていて楽しいのですが、
その本質が犠牲者の方の供養だと思い出すと、ちょっと複雑ですね。

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 いよいよ、参道の両側に時代物のお墓が立ち並び始めます。
こちらは、青の鬼武者 結城秀康のお墓です。こういう見知った名前を外で見るのって
本当に嬉しいものですね。

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 戦国時代ばかりではありません。
こちらは、殿中で松の廊下で赤穂浪士で四十七人の刺客の浅野内匠頭。
講談では美談とされてはいますが、吉良上野介は地元では全盛を敷いていて、
大変名君だったそうですね。

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 こちら、ふぁーさん御用達。かの、最上の狐さんのところのお墓。
出羽里見氏も一緒に葬られているようですね。里見氏といえば、関東が有名ですが、
ちょっと調べてみると出羽にも家があったそうですが、よく分かっていないそうです。

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 ここが、中間地点の水向地蔵。
仏教では、水は清めるものとされていますから、水掛地蔵というのが各地にあるのかもしれませんね。
この地蔵様の後ろに川があります。その川にかかる御廟橋(みびょうばし)を渡るともう浄域。
撮影禁止です。

 奥の院は空海上人が即身成仏となったところ。
未だにこの場所で修行されているとされているため、入定と言われています。
 奥の院には地下の分骨墓地や消えずの霊火など、いろいろ神秘的な場所が沢山です。

 というわけで、無事に参拝を終え、下山です。

 おっと、ここでハプニングが。
以前、安土城の記事で「織田信雄のお墓を参った時に、電源を落としていたはずのデジカメが、
ひとりでにポッケの中で電源オン」
という霊現象が起きたのを覚えて居らっしゃる方がいますでしょうか。

 今回は、次のお墓にお参りする直前に前触れも無く「バッテリーがゼロ」になってしまいました(笑)
……このサイバーショット、射影機なんやろか……。
今に、「前ダッシュからゼロ距離ゼロショット」とかできるようになるかもしれません。

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 次にお参りするお墓は、我らが第六天魔王 信長公のお墓でした!
………この親子は揃いも揃って……。後ろには配下の筒井順慶のお墓も見えますね。

 というわけで、ここからの撮影は、手持ちのiPhoneでお届けいたします。

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 こちらは太閤様、豊臣家のお墓です。
そばにあった墓碑には、はっきりと秀頼公と淀君の名前も見て取れました。
さすがは戦国期の大物、奥の院の一番そばにお墓がありましたね。

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 ちなみに、山の参道といっても、表の道はきちんと石が敷き詰められています。
その両サイドに、所狭しと墓所が並んでいる感じです。

 歩くときは、両側のお墓を一つ一つ見る勢いで歩いてみてください。
いろいろなお墓が本当にたくさんあります。

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 はいはい、こちらが明智光秀公のお墓。
明智光秀のお墓には言い伝えがあって、光秀公の無念か、信長公の怒りか、何度墓石を
取り替えてもヒビが入ってしまうというものです。

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 現在もこんな感じで墓石が砕けています。
以前にお参りに来た時は、日々が割れた上を金網で囲っていましたが、今回は何も
覆われていませんでした。なんまんだぶなんまんだぶ。

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 三成様のお墓です。
並ぶお墓の中には、「周防 岩国 吉川家の墓」みたいに家のお墓も多いのですが、
流石に大物となると個人のお墓になっています。
 謀反を起こした人も、敗れた人もちゃんとお墓があるとか、故人を敬っている事は、
大変良いことですよね。

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 信玄公と勝頼公のお墓の前には、史跡の説明看板がありました。
読んでみると、信玄と勝頼のお墓は大変質素なものですが、これは本人が望んだらしいです。
たしかに、他の墓所とも言える豪勢なお墓と違って、無骨でシンプルな墓石が2つ並んでいるだけ。
 こういう方針が、本人たちのスタイルを表しているようです。

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 高野山墓所の一番最下段に位置するのが、新参者?の伊達家のお墓です。
武田家と比べて、大変豪勢ですが、並べた他意はありません(笑)

 というわけで、ぶらぶら歩いて約二時間。
お墓エリアを抜け、町中に入ります。町中といっても、住居と寺院が並ぶ神秘的なエリア。

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 というわけで、今回の最大の目的地、高室院へ到着です。
現在は宿坊になっています。宿坊というのは、僧侶や参拝客向けの宿泊施設です。
少し料金が安い代わりに、お手伝い…というのが当初のスタイルでした。
 今はお寺の雰囲気を味わえる旅館っていう感じです。

 北条氏直の足跡を求めてゴー!と中を見せていただこうと思いましたが。
「観光するならこの先の金剛峯寺とかへ行け(原文ママ)」と冷たくあしらわれました(苦笑)
他のお寺ではなくて、高室院を見たかったのですが……。

 どなたか、高室院へ泊まられた方。是非とも歴史的なお話を聞かせてください(笑)

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 というわけで、今回の旅はここまで。また、ケーブルカーで下山します。

 やっぱ、ほんと本を読んだりウェブで歴史を見るのも良いですけれども、実際に触れた
インパクトとかパワーは計り知れませんね。
実地へ行ってなんぼです(笑)
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